19歳の1月7日新宿西口の思い出
おんせん県おおいたで
旅行会社をやっています
おおいたツーリストの中村です
2023年1月8日(日)1230号
きょうもよろしくお願いします
昨日は「七草がゆ」食べましたか?
ウチは残念ながら食べてません
うちって、何月何日だから
何かを食べるという意識が低いのか
そう言う食事にならないんです
1月7日と言えば昭和天皇が
崩御された日で
昨日はちょうどその昭和64年
実際には平成元年になるんですが
1月7日の事をテレビでやってました
私が上京した翌年だったんで
よく覚えています
私は高校卒業後、
警察官になりたいと思っていて
地元じゃ難しいと思い
採用数の多い警視庁に入りたい
そのために東京で学校に行きたいと
本当は田舎者が上京してみたかった
だけだったんですが
さもまっとうな理由で
上京する事に親の許しを得て
代々木にある公務員の学校と
日経新聞の奨学会に申し込み
そう言う事を全て
自分一人で勝手に決めて
やってしまう感じの人でした
配属先は
渋谷区本町の初台専売所
本町というくらいですから
道玄坂のスクランブル交差点がある
渋谷駅前ど真ん中くらいかと
思ってたんですが
行ってみると実際は渋谷区の外れ
新宿区と中野区の境目みたいな
割と静かなところで
渋谷駅より新宿駅の方が近くて
ちょうど今の都庁が建設中の頃で
バブル全盛のころでした
3~4時に起きて朝刊配達して
9時からの授業に出て
16時頃には夕刊の配達
朝食、夕食は専売所で済ませ
学校まで自転車で10分の距離を
通学するという
都会を楽しむ暇なんてない
そんな毎日を送っていました
(イメージ)
初台専売所の担当エリアは
中野区と新宿区と渋谷区にまたがり
18区まで担当者が分かれていて
私は明治神宮の西側
小田急線 参宮橋駅のそばの
2区と呼ばれる代々木4丁目を
担当してました
部数でいうと350部くらいだったと
思いますが、ロッテとか富士電機とか
大きな企業では一度に
30部とかバサッと落とせます
本紙以外に産業新聞・流通新聞
工業新聞・スポーツ紙でデイリー
東京中日などを扱ってたため
どこの家に何を何部配達するかと
順路を覚えるのに2週間かかりました
「ウチは出勤する朝5時半までに
届かないと金払わないから」という
西川さんというお宅が中盤にあり
間に合わせるため毎朝全力でした
暮れから昭和天皇が体調を崩され
下血や吐血があったという報道で
「陛下崩御時は、休日出勤で
号外配りを手伝って貰う」
という所長の指示がでていて
誰の休みの日にあたるのか
ロシアンルーレット状態でした
新年が明けてからは
容体悪化を報ずる事が多くなり
私が休みの1月7日土曜日
この日の早朝、ご崩御されました
朝早く所長さんが部屋に来て
「号外だから準備してこいよ」
という声で起き
テレビつけたら全部の局が
「報道特別番組」
「あ~ビンゴか~」と思いながら
所長の車に号外を積み
店から10分の新宿駅西口
京王と隣接する小田急百貨店前へ
向かったのを覚えています
普段なら凄く人通りの多い場所
この日は週末の朝で人通りもまばら
何時間かかるんだろ?そう思いながら
50枚くらいを脇に抱えながら
1枚ずつ通行人に渡していくと
ほぼ、100%受け取ってくれる
10分くらいすると徐々に私の存在を
認識してか、向こうから取りに
来てくれるようになりました
「日経新聞、号外です」
「天皇陛下崩御の号外です」
徐々に駅のほうから人が押し寄せ
10分くらいで一つ目の山は無くなり
残りのもう一梱包は配るというより
通行人が勝手に取っていく
千枚か、二千枚かあったんですが
あっという間に消えていきました
ものの30分くらいしか働いてないのに
「休日出勤手当1万円」を
お店でもらった記憶があります
何日間かはCMの流れない
報道番組が続きました
号外を配ったことある方って
少ないと思いますが
1月7日と言えば
七草がゆより号外の思い出です
もう34~5年も前にも
なってしまいましたが
それでは今日はこれくらいで