ブログ

終戦の日に「赤紙」が届いた男

 

おんせん県おおいたで
旅行会社をやっています
おおいたツーリストの中村です

 

 

2024年 9月 23 日(月)

1851号になります

 

 

今日もよろしくお願いします

 

 

今日のブログは「情報解禁」待ちで

1か月以上前に書いていたものです

 

1か月以上経って

やっと日の目を見る事になりました

 

 

 

 

 

この夏は暑い日ばかりで

特にどこかに出かけたという事も

無かったのですが

 

 

しいていえば

 

 

8月15日の木曜日

 

 

ちょうど南海トラフ地震から1週間

巨大地震への注意情報の最終日

 

地震で言えば最も日本で危険な場所

 

宮崎県へ

 

 

 

日帰りどころか

僅か2時間半の弾丸日帰りをした事

 

 

場所は宮崎県の高鍋町

 

 

同じブロググループの仲間である

ひょっとこ堂の田中社長を訪問しました

 

 

 

お盆と言っても

家内は仕事、息子も娘も帰郷せず

毎日結構暇な生活を送っていました

 

 

田中社長も「退屈で刺激がない」

なんてブログにあがっていたので

 

ぶらっと遊びに行ってもいいかな

くらいには考えていました

 

 

 

15日の朝、ポストに朝刊を取りに行くと

前日の夕方以降に届いたのであろう

 

タイアンドギーからの「ゆうパック」

 

 

何?

 

と思って開けてみると

 

 

昨年、私が受け取ったのと同じ

12月に行われるリボーンアワードの

「出場決定通達書」(通称:赤紙)

 

 

「あ~、今年は陽一なんだ」

 

 

 

そんな事を思いつつ、朝刊を読んで

朝5時半から

どんな風に渡そうかをあれこれ考え

 

 

 

主催者側もイベントの準備や集客

これまでの反省もあってか

例年よりも1か月も早く動き出してる

 

 

 

 

 

この赤紙の授与には、必ず

動画の撮影がミッションとしてあり

上手く撮るには、二人以上いた方がイイ

 

 

でも、普段来ない奴がいきなり来て

動画まわすと完全にバレる

 

 

急に飲み会をすると言っても

怪しまれるし、変に画策すると

その間の時間で勘づかれるかもしれない

 

 

 

ちょうど暇だし、こんな預かりもの

自分だけで抱え込んでいられるほど

強くもないので「善は急げだ!」

 

 

嫁さんには彼女の実家である佐伯の

お墓参りに行ってくると言って

 

 

近所のイオンで大分のお土産の定番

「ざびえる」というお菓子を買って

 

さあ、これで準備万端!

 

 

朝6時半には我が家を出発

 

 

 

 

実はその二日前から

ネタフリは始まってて

 

 

 

高鍋に遊びに来て下さい(陽一)

 

行ったところで、相手してくれんやろ!(私)

 

 

また、その次の日も

 

 

昨日に引き続き

高鍋においでよ(陽一)

 

行ったところで、相手してくれんやろ!(私)

 

 

 

と言う、不毛なラリーの繰り返しがあり

その時点では、行くつもりもなかったけど

 

 

急遽その翌日に

本当に高鍋に行く用事が

できてしまった!

 

 

しかし、展開を間違えると

不自然になりおかしいと思われる

 

 

ウチの嫁さんの実家が

蒲江だと知っている陽一クンなら

 

 

お盆で実家に墓参りに行ったついでに

蒲江から高鍋までなら1時間半なので

決して無理して来る距離感ではない

 

 

 

私なら暇だから、用事は無くても

ホントに来るかもしれない

 

 

そこまでは抜かりなく

思わせておかないといけない訳です

 

 

 

 

途中、嫁さんの実家のお墓参りに行き

その足で高鍋に高速で向かいました

 

 

 

ひょっとこ堂に着くと、

 

 

「高千穂サミットチャンネルの

 スピンオフを撮ってる」

 

 

という話にして

 

不自然に動画を撮り始めないように

初めからずっと動画をまわしっぱなしに

 

 

お店に入って、着座後

おみやげの「ざびえる」を

渡すとその袋の中に仕込んでいた

「赤紙」に気づくように

 

仕込みの「ざびえる」も、

重要なアイテムなんです

 

 

 

「えっ、噓でしょ」

「・・・・」

 

 

 

終戦の日に赤紙が届いた男

 

令和の現代に、

彼だけだと思います

 

 

 

 

 

あの日私は、今年登壇する

全国の5人の中で誰よりも早く

 

 

陽一クンに

あなたが登壇者に選ばれたこと

を知らせたかったし

 

 

裕治郎さんはその役目を

私に託したのですから

やっぱりスピード感は大事

 

 

「はいよろこんで!」

「はいつつしんで!」

 

 

 

動くまでのスピード感とか

面倒臭がらずに引き受ける

 

 

私に託されるという意味・・・

 

 

実は、ずっとそんな事を

考えながら

そしてこっちのけんとを熱唱し

運転していました

 

 

 

 

幸いにして

陽一クンにはバレずに

 

 

今回は

なかなかいいリアクションが

撮影できましたし

 

 

試聴した裕治郎さんには

まずまずという合格点を頂き

無事、納品する事が出来ました

 

 

 

 

終戦の日、正午のサイレンが鳴る中

裕治郎さんに「ありがとうございます」

と、連絡するヨウイチ君

 

 

 

「黙祷しろ!黙とう」

 

 

 

私の時は「迷惑だ」と思うだけで

1ミリたりとも

「ありがとうございます」なんて

気持ちは無かったけどな~と思いつつ

 

 

 

この男に対する期待が膨らんできました

 

 

 

わずか、一時間半の滞在を終え

 

 

 

 

「応援してるんで頑張ってください」と

ひょっとこ堂さんの近くにあるうどん店で

いっしょにお祝いをしてきました

 

 

 

別れ際、陽一君は

「俺はお笑い枠か~」

などと笑っていましたが

 

決してお笑い枠なんかじゃないぞ!

 

 

俺の骨を・・・

俺の骨を拾ってきてくれ!

全力で勝ちに行け!!

 

 

 

 

 

 

それでは今日はこれくらいで

 

 

ページの先頭へ