ブログ

平和である事の尊さを学ぶ

 

 

 

 

おんせん県おおいたで

旅行会社をやっています

 

おおいたツーリストの中村です

 

きょうもよろしくお願いします

祝日の今日は

ユルい休日ブログです

 

 

 

私の祖父は

海軍特務艦「間宮」の乗員として

 

昭和19年12月21日に

460名もの多くの船員達と共に

フィリピン沖で沈没し戦死しています

 

父は19年8月生まれなので

祖父には一度も会った事が

ないまま亡くなりました

 

祖父は元々兵庫県宍粟郡千種町の出身

第二次大戦では海軍に属し

祖父母は広島の呉で過ごしたそうです

 

 

終戦後、祖母は

幼い父と3歳上の長女と共に

身寄りを頼って大分へ引越したものの

 

戦争遺族の貧しい母子家庭として

ずいぶん苦労してきたと聞きます

 

その呉市では、毎年9月23日に

長迫公園の呉海軍墓地で

海軍合同追悼式が行われます

 

 
 
 

一昨年、昨年も行われましたが

やはりコロナが心配されるため

県外への宿泊を伴う参加は

見合わせました

 

 

父も高齢になり参列するのが

大変になってきたので

「もうこれが最後になるかも」

と、言う事で

 

今年は四年ぶりに私の運転で

両親と呉を訪れたのでした

 

 

途中、祖母姉妹の墓がある

山口の防府と

 

広島市内の海宝寺に立ち寄り

墓参りもしてきました

 

 

 
 

 広島を訪れる際のお決まりルートです

 

昨日は午後には呉市入りし

慰霊碑周辺を掃除し花を手向けました

 

市内を一望できる高台の長迫公園に

呉海軍墓地があります

 

 

 

 

 

祖父は海軍の中でも戦艦や空母ではなく

特務艦間宮と言う給糧艦で

各戦艦に食料を供給すると言う

独特の任務を行なっていたため

 

攻撃力はほぼ無いに等しいながら

海兵から非常に人気があった艦だそうです

 

 

特に船内で作られていて

人気だったのが「間宮ようかん」

 

将校が休暇で丘に上がる際は

お土産として

喜ばれた品だそうです

 

 

 

その為、間宮が撃沈されたと言う一報は

他の海軍兵士たちにも影響があり

ずいぶん意気消沈したそうです

 

 

大戦のさなか、ほぼ兵器も持たず

他の戦艦の後方支援活動を

任務としていたのが

 

何となく今の私に通ずる気もしますし

祖父を誇りに思います

 

こうした尊い犠牲があって

今の私たちの平和が成り立っている

 

あらためて日本が平和である事を

願いました

 

私たちが旅行業界で仕事が出来るのは

平和であるからこそです

 

 

今年は年明け早々

ロシアのウクライナ侵攻という

歴史的な大事件があり

 

現代の戦争というモノを

まざまざと見せつけられ

 

より一層、

平和である事の有り難さを

感じる事が出来ます

 

 

国内の戦没者慰霊祭などを見ても

遺族の高齢化が進み

 

やがてこうした行事も

消えて行くのかもしれません

 

廃らせない仕組みづくりを

今からやっておかなければ

いけない事を痛感しました

 

 

ともあれ、高齢の両親には

良い孝行が出来た二日間でした

 

 

それでは今日はこれくらいで

 

 

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