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震災の度に思い出す思いの詰まった添乗の話

 

 

おんせん県おおいたで

旅行会社をやっています

 

おおいたツーリストの中村です

今日もよろしくお願いします

 

 

 

 

今日は3月11日

 

東日本大震災から

もう11年たったんですね

 

昨夜はたまたま

夜中も寝ずに起きてたので

国営放送の震災番組をみてました

 

 

あれからの11年の間に

熊本地震があり、豪雨災害があり

台風があり、感染症があり

 

世の中をひっくり返すような出来事が

毎年当たり前のように起きてしまう

 

 

ここ最近では

新型コロナによって

職をなくした、家族を亡くした

 

人生が変わってしまった方は

とてつもなく多いでしょう

 

 

しかし、コロナとは違い

地震と津波と言う

 

一瞬の出来事で身内を失った

そう言う方も多いはずです

 

 

ちょうど10年前

 

まだ私が前職のバス会社の

旅行部門にいた頃の話です

 

 

同僚が担当していた仕事で

「被災地の中学生を大分に呼ぶ」

 

大分商工会議所青年部さん主催で

宮城の中学生を大分でおもてなしする

そんな企画の添乗を任されました

 

旅行の数日前に、同僚は酷い腰痛で

急遽、私にお鉢が回って来た感じです

 

前入りで仙台入りし、空港でお迎え

少し時間があったので電車でぶらぶら

してたりしたんですが

 

1年経った仙台は

まだまだ被害の爪痕も残ってました

 

確か、仙台→伊丹→大分空港

だったと思います

 

迎えに行って連れてきて

送っていってまた帰る

 

この短期間の間に8区間「

飛行機に乗った記憶があります

 

大分空港に着くと

商工会議所のメンバーや

全日空の空港職員さんが出迎え

 

地元テレビの夕方のニュースまで

取材にきていました

 

滞在は三日間

歓迎行事や大分観光

田ノ浦のビーチでバーベキューなど

 

仙台の中学生もすっかり打ち解け

青年部の皆さんと交流されていました

 

本当に短い大分での滞在でしたが

ほとんど全員が初めての九州

 

立ち上がる湯けむりを見て

大分を満喫しました

 

 

多感な時期に未曾有の

大震災を経験した彼らも

 

今では成人となり

もう父親、母親になっている子も

いるのかもしれません

 

 

25~26歳くらいですから

それぞれの進路や職場で

活躍されていると思います

 

 

 

 

当時、いろいろお話を聞くと

津波で同級生を亡くしたという子も

地震で家が壊れたという子も

 

おそらく、そんな経験をした

彼らは一生、どんなことがあっても

震災の思い出は消えないでしょう

 

 

 

 

辛い思い出は残っても、

九州の大分というゆかりもない

場所の若者達がみんなの事を

 

「励ましたい」という一心で

立ち上がったあの旅行企画

 

 

別れる時は中学生も

会議所青年部の方も

お互いに涙の別れとなりました

 

 

再び仙台まで送り届けた私だけが

解散式でみなさんや保護者の方から

暖かい拍手をいただきました

 

私がお金出してる訳でもないのに

なんか申し訳ない気持ちです

 

 

私にとってとても印象深い添乗で

今でもよく覚えています

 

毎年、この3月11日を迎える度

あの時の旅行の事を思いだします

 

私に旅行業独立の勇気を

与えてくれた、そんな仕事です

 

そんな私も独立してもう7年

 

 

いろんな苦境が矢継ぎ早に

やってきますが、旅行本来の

楽しさを味わって頂く為に

まだまだ頑張っていかねばなりません

 

 

11年前の3月11日も金曜日でした

そして今日も金曜

 

 

何ごともなく、毎日が平和に

過ぎて行って欲しい

 

 

 

それでは今日はこれくらいで

 

 

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