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東京五輪とムヒカの教え

 

 

 

 

 

大分で旅行業やっています

おおいたツーリストの中村です

 

 

 

私が5年前読んだ記事です

 

 

今回のオリンピックが開催されるに

至るまでのさまざまな

今の日本の姿を考えるとき

 

先進国って、豊かさってホントは何だ

正直に生きるって何だって思ったとき

 

このムヒカ大統領の記事が

浮かんできたんです

 

 

 

 

なので、少し長いですが

ご紹介させてください

 

 

会場にお越しの政府や代表の皆様

有難うございます。ここに招待頂いた

ブラジルとディルマ・ルセフ大統領に

感謝いたします。

私の前に、ここに立って演説した快き

プレゼンテーターの皆様にも感謝いたします。

 

国を代表する者同士、人類が必要で

あろう国同士の決議を議決しなければ

ならない素直な志をここで表現して

いるのだと思います。

 

しかし、頭の中にある厳しい疑問を

声に出させてください。

 

午後からずっと話されていたことは

” 持続可能な発展と世界の貧困を無くす事” でした。

私たちの本音は何なのでしょうか?

 

現在の裕福な国々の発展と消費モデルを

真似することでしょうか?

 

質問をさせてください。

 

 

ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車を

インド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。

 

同じ質問を別の言い方ですると、

西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な

消費を世界の70億~80億人の人が

できるほどの原料がこの地球に

あるのでしょうか?

 

可能ですか?

 

それとも別の議論をしなければ

ならないのでしょうか?

 

なぜ私たちはこのような社会を

作ってしまったのですか?

 

マーケットエコノミーの子供、

資本主義の子供たち、

即ち私たちが間違いなくこの無限の

消費と発展を求める社会を

作って来たのです。

 

 

マーケット経済がマーケット社会を造り

このグローバリゼーションが

世界のあちこちまで原料を探し求める

社会にしたのではないでしょうか。

 

 

私たちがグローバリゼーションを

コントロールしていますか?

 

あるいはグローバリゼーションが

私たちをコントロールしているの

ではないでしょうか?

 

このような残酷な競争で成り立つ

消費主義社会で

 

「みんなの世界を良くしていこう」

というような共存共栄な議論は

できるのでしょうか?

 

どこまでが仲間でどこからが

ライバルなのですか?

 

このようなことを言うのは

このイベントの重要性を批判

するためのものではありません。

 

その逆です。

 

我々の前に立つ巨大な危機問題は

環境危機ではありません、

政治的な危機問題なのです。

 

現代に至っては、人類が作った

この大きな勢力をコントロール

しきれていません。

 

 

逆に、人類がこの消費社会に

コントロールされているのです。

 

私たちは発展するために生まれて

きているわけではありません。

 

幸せになるためにこの地球に

やってきたのです。

 

人生は短いし、すぐ目の前を過ぎて

しまいます。命よりも高価なものは存在しません。

 

 

ハイパー消費が世界を壊しているのにも

関わらず、高価な商品やライフスタイルの

ために人生を放り出しているのです。

 

消費が社会のモーターの世界では

私たちは消費をひたすら早く多く

しなくてはなりません。

 

 

消費が止まれば経済が麻痺し、

経済が麻痺すれば不況のお化けが

みんなの前に現れるのです。

 

 

このハイパー消費を続けるためには

商品の寿命を縮め、できるだけ多く

売らなければなりません。

 

ということは、

 

“10万時間持つ電球を作れるのに、

1000時間しか持たない電球しか

売ってはいけない社会” にいるのです

 

そんな長く持つ電球はマーケットに

良くないので作ってはいけないのです。

 

 

人がもっと働くため、もっと売るために

「使い捨ての社会」を続けなければ

ならないのです。悪循環の中にいるのに

お気づきでしょうか。

 

これはまぎれも無く政治問題ですし、

この問題を別の解決の道に私たち

首脳は世界を導かなければなりません。

 

石器時代に戻れとは言っていません。

 

マーケットをまたコントロール

しなければならないと言っているのです。

 

私の謙虚な考え方では、

これは政治問題です。

 

 

昔の賢明な方々、エピクレオ、

セネカやアイマラ民族まで

こんなことを言っています

 

「貧乏なひととは、少ししかものを

持っていない人ではなく、無限の欲があり

いくらあっても満足しない人のことだ」

 

これはこの議論にとって文化的な

キーポイントだと思います。

 

国の代表者としてリオ会議の決議や

会合をそういう気持ちで参加しています。

 

私のスピーチの中には耳が痛くなるような

言葉がけっこうあると思いますが、

みなさんには水源危機と環境危機が

問題源でないことを分かってほしいのです。

 

 

根本的な問題は私たちが実行した

社会モデルなのです。

 

そして、改めて見直さなければ

ならないのは私たちの生活

スタイルだということ。

 

 

私は環境資源に恵まれている

小さな国の代表です。

 

 

私の国には300万人ほどの

国民しかいません。

 

でも、1300万頭の、

世界でもっとも美味しい牛が

私の国にはあります。

 

ヤギも800万から1000万頭

ほどいます。

 

私の国は食べ物の輸出国です。

 

こんな小さい国なのに領土の

90%が資源豊富なのです。

 

私の同志である労働者たちは、

8時間労働を成立させるために

戦いました。

 

そして今では、6時間労働を

獲得した人もいます。

 

しかしながら、6時間労働に

なった人たちは別の仕事もしており、

結局は以前よりも長時間働いています。

 

 

なぜか?

 

バイク、車、などのリポ払いや

ローンを支払わないといけないのです。

 

毎月2倍働き、ローンを払って

行ったら、いつの間にか私のような

老人になっているのです。

 

私と同じく、幸福な人生が目の前を

一瞬で過ぎてしまいます。

 

そして自分にこんな質問を投げかけます。

 

“これが人類の運命なのか?”

私の言っていることはとても

シンプルなものですよ。

 

発展は幸福を阻害するもので

あってはいけないのです。

 

発展は人類に幸福をもたらす

ものでなくてはなりません。

 

愛情や人間関係、子どもを育てること、

友達を持つこと、

そして必要最低限のものを持つこと。

 

これらをもたらすべきなのです。

 

幸福が私たちのもっとも大切な

ものだからです。

 

環境のために戦うのであれば、

人類の幸福こそが環境の一番

大切な要素であるということを

覚えておかなくてはなりません。

 

【ムヒカ大統領のスピーチ】

 

 

 

「世界で最も貧乏な大統領」と言われた

ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領(当時)が

2012年の地球サミットで語ったスピーチです

 

 

私たちは、少なくとも私は

誰かよりも優位に、誰かより先に

誰かよりもたくさん

 

 

いつの間にかそんなことで

他人と比較しながら、生きています

 

人のあらを探し、足を引っ張り

嘘をついたり、虚栄をはったり

 

 

ムヒカの言葉には

そんなことをする必要がないことを

思い知らせてくれます

 

 

 

東京五輪って一種の魔法みたいな物で

このお祭りが終わってしまえば

 

 

この国の国民は

また、始まる前に戻ってしまうのか

そんな心配をしてしまいます

 

 

 

旅行業界も

このコロナが変革をもたらしました

 

これからは

たとえば豪華でボリュームがあって

食べきれないような食事や

 

 

採算を度返ししたような

旅行商品だったり

 

もう、そんなんじゃなくて

 

 

当たり前にきちんと作った商品で

きちんと稼げる仕事にしないと

いけないと思います

 

 

豊かな日本で仕事ができてる現実を

誇りに思わなければならないし

 

 

自分の好きな事が出来ているのも

幸せな事ですが

 

 

その日常にうずもれてしまい

本当に大事にしなければならない事を

忘れてはいけないんだと思います

 

 

 

それでは、今日はこれくらいで

 

 

 

 

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