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早すぎる友人の死に残りの人生を思う

 

 

 

おんせん県おおいたで

旅行会社をやっています

 

おおいたツーリストの中村です

今日もよろしくお願いします

 

 

昨夜、通夜に参列しました

 

 

幼馴染の一つ年上で

地元の社会福祉法人に

勤務されてましたので

 

 

コロナ前までは

随分仕事も頂きました

 

 

土曜日の夕方

彼の同僚だった方から

連絡を受け

 

 

少し前からうつ状態が続き

休職していたのは聞いてましたが

あまりに突然で力が抜けました

 

 

今思えば、

私と会って話すたびに

 

 

「お前はいいなぁ、自由で」

と、よく言われてました

 

 

職場の環境が変わったのを機に

組織の中で、随分苦しんで

悩んでいたんだと思います

 

 

「お前はいいなぁ、自由で」

と、言われるたびに

若干ディスられてるのかなぁ

 

コロナ禍でジリ貧状態なのを知って

いながらわざと言ってるんだろう

 

くらいに思っていました

 

 

他人に羨ましがられるような

存在である訳はないと思っていた私を

 

本当にそう思っていてくれてたのかなと

今になって、そう思います

 

 

亡くなられた方に

そんな事は言うべきでは

ないのかもしれませんが

 

 

理由はどうあれ

「何やってんだよ」

 

言ってやりたいような悲しいより

怒りに似た感情です

 

 

私も最初に勤めた旅行会社が

大分支店閉鎖を決めた時

 

 

その会社に残らず

全く異業種に挑戦したくて

 

37歳から3年間

注文住宅営業をやった事があります

 

会社に勢いがあった分

私のような素人でも

在籍の3年弱で二十数件の契約を

頂くことはできましたが

 

売れないという負のスパイラルに

入り込むと、なかなか抜け出せず

 

会議では上司に詰められ

先輩営業マンからはダメ社員の

烙印を押されながら、

 

毎日夜遅くまで

電話でアポをとる生活が続き

相当、精神的に追い込まれました

 

毎日が苦痛の日々で

今でもあの頃の事が浮かぶことがあります

 

 

最後は、めまいから起きられない状態に

までなって会社を辞めました

 

 

あのまま、我慢して続けてたら

今どうなってただろうと

思う事があります

 

 

営業で事務所を伺った時

彼とはそんな話をよくしていて

 

すごく興味深そうに聞いてたので

別の世界に飛び出したい気持ちが

あったんだろうと思います

 

 

確かに50過ぎると

いろいろしんどくはなるけど

 

 

54歳はまだあとひと頑張り

しても良かったんじゃないかと

言ってやりたい

 

 

ここ一年

ほとんど話せてなかったのが

本当に悔やまれます

 

 

地元で少年野球の指導者を

二十年以上されていたので

昨夜は多くの小中学生の姿があり

 

駐車場に入りきれない車の列が

渋滞を起こすほどの

多くの参列者がありました

 

たくさんの方に愛されていた事が

これだけでも偲ばれます

 

 

祭壇の遺影を見ながら

色々な思い出が甦りました

 

「お前はいいなぁ、自由で」

と、言われてた者とすれば

 

彼を裏切らない人生をこれから先も

しっかり生きて行かんとと思います

 

 

月曜日の朝から

少し重い話になってしまいましたが

 

 

今週も引き続き忙しいんで

切り替えて頑張っていきます

 

 

 

それでは今日はこれくらいで

 

 

 

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