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今年の話題作「○○○を止めるな!」

今日は私自身が高校時代の

修学旅行でやらかした話です

 

 

いつもより気合い入れて書きましたので

少し長くなりますが、

よかったら最後までお読みください

 

 

あ、最近一部で、めっきりブログが

つまらなくなったと評判らしい

おおいたツーリストの中村です

 

 

 

さて、私が初めて

「死にたいくらいに憧れた花の都 大東京」に

足を踏み入れたのが高校2年の修学旅行です

 

 

 

 

確か昭和61年だったので

東京ディズニーランドが開業3周年とか

そんな時代でした

 

 

 

出発前、体育館に集められ

注意事項の説明中、友人が・・・

 

 

「スリッパ持参って、持ってきた?」というので

「忘れたけど、学校のでいいんじゃん」と

職員玄関から来客用スリッパを拝借してきた

 

 

こういうやつ(校名入り)

 

 

 

 

 

1日目は

高校から貸切バスで西大分港へ

フェリーに乗り換え、雑魚寝の船中泊

 

 

 

夕食後、船内でそのスリッパを履いて

ウロウロしているのを

ソッコーで学年主任に見つかり

 

 

『なんでそんなもん履いとるんか!

これは、学校の備品やないか!

旅行中は、もう絶対履くなよ!』と、言われ

 

 

 

素直に、「わかりました」と

返事して、そこはそれでおしまい

 

 

 

 

2日目は

フェリーで翌朝、神戸港に着き

東京のバス会社が迎えに来てました

 

 

 

名神を走り

名古屋の明治村で昼食と見学

 

 

 

あとはひたすら東名を走って、走って

その日のうちに東京に入りました

 

 

泊まったのは本郷の古い旅館でした

 

 

 

3日目は一日グループで自由行動

だったと思うんですが、全く記憶がありません

 

 

ただ、

当時まだ河田町に、フジテレビがあって

行きたくて仕方なかった気がします

おにゃんこクラブでも見たかったんでしょうか

 

それから、岡田有希子が飛び降りた

四谷の現場にも行ってみたくて・・・

 

結局、反対者多数で行かなかったですが

 

 

今、思えばかなりイカレてる高校生でした

 

 

4日目は

東京ディズニーランドに行き

 

 

5日目は

国会議事堂や皇居や東京タワーで

記念写真撮って

東京駅から午後の新幹線に乗り

 

 

新神戸まで新幹線で

神戸港からはまたフェリーに乗る

 

 

凄くあやふやですが・・・

そんな行程だった気がします

 

 

 

 

で、新幹線乗って・・・

最初は、おとなしく乗ってたんですが

 

 

静岡を過ぎ・・・

 

名古屋を過ぎ・・・

 

 

なんか退屈で、友人と二人で

 

 

じゃんけんで負けたほうが

罰ゲームとして

 

 

京都についたらホームに降りて

自販機でジュース買ってこよう!

 

 

と、いうことになり

 

 

 

京都に到着し、ドアが開いたら

負けた友人はダッシュで

自販機でジュースを買って戻ってきた

 

 

発車のベルが鳴る中

ギリギリのタイミングで

 

 

また例のスリッパに履き替えてた私は

それで彼の頭を何度もパコパコ叩きながら

 

 

「乗せない!」「乗せろ!」

しょうもなく、ふざけてました

 

 

 

閉まる瞬間、友人は飛び乗り

 

ドアが「ぷしゅーっ」と閉まり

そのタイミングでドアにスリッパが

挟まった!!

 

 

 

今でも時々、考えることがあります

 

あれは、故意だったのか

故意じゃなかったのか

 

おそらく

故意でしょう

 

 

 

じゃ、なきゃそんなにタイミングよく

挟まるわけないですから

 

 

 

豊肥線くらいしか乗ったことの無い

田舎者の高校生でしたから・・・

 

 

まあ、力ずくで開ければ、

引っこ抜くくらいの隙間はできるだろう

と、たかをくくっておりました

 

 

 

大阪に向け走り始めていましたが

まあ、その段階ではそれほど焦ってない

 

 

 

でも、そこそこ力を入れているが

結構、引き抜く程度の隙間も出来ない

 

 

 

そこで私と友人は考えた

 

 

 

「まあ、ここで引き抜けなくても

大阪に着いたらドアは開くんじゃけん」

 

 

 

「そうやな、慌てて取らんでもな・・・」

 

 

 

新大阪に到着するというのに

私たちの車両の近くには一般客が

居ないので、誰も来ませんでした

 

 

 

新大阪についてこれでやっと取れると

安心した途端

 

 

スリッパとは反対側のドアが

「ぷしゅーっ」と開きました

 

 

 

挟まったまんま、動かないドア

何度もこじ開けようと頑張るが

まったく動かないドア

 

 

新大阪を出たら新神戸はすぐ

 

 

ゆっくり

新大阪のホームから動き始めました

 

 

添乗員や先生がほかの生徒たちに

「降りる準備を始めてくださーい」と

言う声が聞こえてきます

 

 

 

中を覗くと棚から荷物を降ろし始めてました

 

 

 

「かなりヤバい!!」

 

 

 

ドアには学校名の入ったスリッパが

挟まってる・・・

 

 

 

このスリッパを履いてるところを

学年主任は知っている・・・

 

 

 

神戸に着くまでに無事回収しないと

絶対、怒られる・・・

 

 

 

追い詰められた私と友人は

渾身の力を込めて

 

 

一気にドアの取っ手を

引っ張り、こじ開けました

 

 

 

「ぷしゅーっ」

 

 

夕方の暗くなりかけた

淀川にかかる鉄橋の上で

新幹線が止まりました

 

 

 

 

 

 

スリッパは抜けたけど・・・

 

 

 

 

慌てて車掌さんがすっとんできた

 

 

「どう、されたんですか?」

 

 

 

「あの~

 

モノが挟まって

 

無理に取ろうとしたら・・・」

 

 

 

 

添乗員と先生が呼ばれて

 

何か怒られている・・・

 

 

「とりあえず席に戻ってろ」と言われ

 

 

 

もう着いたのかと勘違いした

うちの馬鹿な生徒たちは

淀川に降りようとしてました

 

 

 

「ただいま13両目と14両目の間のドアに

異常があり非常ブレーキが作動したため

緊急停車しております。しばらくお待ち下さい。」

と、いう車内放送

 

 

 

このくらいで、かなりまずいことに

なってきてるのがわかります

 

 

たぶん、これは相当怒られるな・・・

 

 

 

 

 

結局、5分間停車して

再び、動き始め

 

 

私たちは、まもなく新神戸駅で降りて

フェリーに乗り換え

 

 

 

 

「フェリーに乗ったらちょっと部屋に来い」

と、言われました

 

 

1時間ほど担任と学年主任から

愛あるありがたいご指導をいただいた

 

 

 

「我が校、始まって以来の汚名を残した」

らしいです

 

 

 

卒業したあと、引率の先生から聞いたが

だいぶ落ち込んでいた私たちを気にして

 

 

夜の船室での見回りも何度もされたらしく

その時に、私と友人は・・・

 

 

「新幹線の止め方はわかったけど

フェリーはどうしたら止まるんやろうか」と

 

 

カーテンで仕切られた部屋の向こうで

話していたのを先生達は聞いていたらしく

 

「あいつら全然落ち込んでないですよ」と

話していたらしいです

 

ぜんぜん覚えてないですけど・・・

 

 

 

 

私がこの仕事に就いて数年してから

その時の添乗員をされていた

JTBの方にお会いする機会があり

 

 

既にに大分の教育旅行部門の責任者に

なられていました

 

 

その話をしたところ

懐かしく思いだしながら

「JRに始末書を書かされたよ」と

笑っていらっしゃいました

 

 

 

まあ、そんなアホな高校生だったのが

こんな仕事に就いてるのですから

わからないものです

 

 

高校生に言いたい

 

新幹線・・・

 

いや乗り物・・・

 

いや、世間のもろもろ・・・

 

思いとか、情熱とかも全部・・・・

 

「○○○を止めるな!」

 

 

 

今日はいいオチがついた

 

おそらく読むのに

2分半はかかったでしょ?

 

ありがとうございました

 

 

では、今日はこれくらいで

 

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