「手書き」のこだわり ありますか?
おんせん県おおいたで
旅行会社をやっています
おおいたツーリストの中村です
2025年12月28日(日)
2319号になります
きょうもよろしくお願いします
一応、金曜日までに
年賀状を書いて投函しました
私にとってはとりあえず
ここは出しておかないと!
という第一次選考的なモノ
ちょうど来年春に行われるWBCの
選手選考第一次の発表が
昨日、井端監督から行われましたが
ちょうどそんな感じで
まだ手元には数十枚の印刷済み賀状が
机にあります
少しずつこの人も、あっあの人もと
思い出しながら
少しずつ書いています
去年、今年届いた年賀状で
「これにて年賀状じまいです」
と、書いてくれてる分には
いいのですが
企業から頂いた分で
「昨今の、自然環境意識の高まりに鑑み」
っていう理由で年賀状の送付を控えます
というやつ
じゃあ、出し続けてる人や企業は
自然環境意識が低いとでも?
みたいな絡み方をしたくなります
単純に年賀状を作ったり送ったりする
手間と経費を削減したいので!って
書きゃいいじゃん と思ってしまいます
来なければ、来年は出さない訳だし
いちいちその意識の高まりを年末に
ハガキで送ってくる方がどうなん?
なんて思ってしまいます
そう思ってしまう私の意識自体に
少し問題があるかもしれませんが
よく印刷の年賀状を
そのまま送ってこられる方が
いるんですけど
デザインとかチラっと
見ますけど、やっぱり手書きの
コメントが一言あるとないとでは
全然、印象が違いますよね
私は、まあ自他ともに認めるくらい
字が上手で、奇麗だといわれます
それは見た目に反してとか
予想外にとかがつくんですけど
まあ、正直言うと
「うまい日もあるけど
ヘタな日もある」
気分によって全然出来が変わってきて
年賀状にひと言書き添えるにしても
よくできる日、ダメな日
ハッキリしています
自分で言うのもなんですが
割と繊細なほうでして
字がキレイに掛けないと思った日は
誰かに見せるようなものは書きません
手紙だったり、対外的な書類だったり
それは気分の浮き沈みとか関係なく
上手くかける日とそうじゃない日が
あるんです、わからないけど
本当なら全て毛筆で
サラサラっと書けたら
それが一番かっこいいのですが
毛筆でそこまでは出来ないですね
私の友人というか知人に
書道家の松本重幸さんという方がいます
彼の年賀状はいつも惚れ惚れする
文字のキレイさと迫力
本当に字が上手い人というのは
こういう人の事を言うのだなと
いつも思います
生きてる間にあと何回
年賀状を出すのか分かりませんが
いつかこんなふうになりたいと
常々思います
松本先生の書道教室に
通ってみっかな!
それでは今日はこれくらいで


